夏の伊吹山~三態(2018年8月)

岐阜県と滋賀県を隔てる伊吹山(1,377m)。その山頂部は滋賀県米原市に属しますが、濃尾平野、とりわけ伊吹山麓に広がる西濃から岐阜市周辺で生まれ育った人にとって、自分の住む町から見る伊吹山が一番美しいと自慢しあったり、学校の校歌で歌ったりする、原風景的な山です。冬でも雪を抱かない周囲の山々を従えるように真白く屹立する独立峰の伊吹山を『アルプスのよう』と表現した方もおられました。冬季の伊吹山は雪雲に包まれていることが多く、晴れ渡った朝でないとなかなかお目にかかれません。

冬に比べれば目立たない夏の伊吹山ですが、それでも時々刻々装いを変えてくれます。今回はそんな夏の伊吹山三態をご紹介します。 3枚の写真、構図が微妙に異なりますが全て大垣駅付近の同じ場所から撮影しています。手前の茶色いマンションで大まかな位置関係が把握できるかと思います。

※PCでご覧の方は、写真にマウスのカーソルを当て、右クリックして『新しいタブで画像を開く』を選択すると大きなサイズで写真が見られます。

雨上がりの澄んだ夏の朝の伊吹山

夏の雨上がり、澄んだ朝の伊吹山。中腹を伊吹山ドライブウェイが走る。

上のような典型的な夏の伊吹山。西濃地方は日本有数の猛暑地帯でもありますので、晴れ渡った夏の午後は、下のように夕立となることも往々にしてあります。

同日午後、驟雨に隠れる伊吹山。画面左端、紅白の鉄塔の後方が関ヶ原

同日午後、驟雨に隠れる伊吹山。画面左端、紅白の鉄塔の後方が関ヶ原

たたなづく山並みの一番奥にそびえる伊吹山

さらに翌日。重畳たる山並みの最奥にそびえる伊吹山

写真を撮影したJR大垣駅付近から伊吹山まで直線距離で20km弱。その間だけでも上のように幾重にも重なる山並みが続きます。 秋に向かう季節、こんな景色がたびたび見られるようになります。

 

 

 

 

 

 

 

 

変わりゆく大垣駅前(2018年夏)

時々帰省される方も地元の駅前は通り過ぎるだけで意外にじっくり見ていないのではないでしょうか?

西濃で生まれ育った人間にとって、大垣駅前のヤナゲン百貨店は永くランドマークだったと思います。紆余曲折あって現在はくつろぎサロンとして市民に開放されているA館7階から見た現在の大垣駅前をご紹介します。 ちなみにA館と空中回廊でつながっていたB館は2016年に閉館。跡地にはマンション・プレサンス ロジェ 大垣駅前が2019年6月に竣工されます。

画面左の高層マンションは2016年9月に完成した17階建のライオンズ大垣駅前ローレルタワーです。道路をはさんだ右側には岐阜県を代表する学習塾・志門塾の大垣校、更にアパホテル大垣駅前と続き、JR大垣駅舎の向こうに北口のアクアウォークや大垣徳州会病院が望めます。

画面右手前の高屋町の交差点に面した場所には、戦災復興土地 区画整理事業で建てられていたビルの跡地を利用した公園・水都の泉が作られています。

そして画面右奥の大垣駅ビル・大垣アピオは2018年8月31日をもって32年間の歴史にピリオドを打ち、2019年4月下旬にASTY(アスティ)大垣として生まれ変わるまで閉館されています(JR東海のプレスリリース)。これから来年のGWまでJRで帰省される方は、大垣駅ビルでちょっと時間調整、といったことが出来なくなりますのでご注意下さい。

変わる大垣駅前

ヤナゲン百貨店A館7階「くつろぎサロン」から見た大垣駅南口(2018年8月)

関ヶ原合戦跡の追加情報です(2018年8月)

 

昨年8月の当会HPの記事・関ヶ原合戦跡に行ってきました で関ヶ原古戦場の今をご紹介しました。この夏も関ヶ原に足を伸ばす機会がありましたので、今年はJR東海道線 関ヶ原駅周辺を中心にご紹介させて頂きます。

関ヶ原古戦場は岐阜県が世界に誇る観光資源・世界三大古戦場として売り出すべく、史跡整備やビジターセンター建設など力を入れております(岐阜県の充実したHPです)。その関係で町の様子もどんどん変わっています。

関ヶ原観光案内所から見た関ヶ原駅

JR東海道線 関ヶ原駅(関ヶ原観光案内所から。電動レンタサイクルも完備)

関ヶ原駅に到着した電車の車窓の前に広がるのは...

関ヶ原駅構内の看板

関ヶ原駅構内の看板。後ろの山の左の麓が石田三成の陣址

昨年7月に新たに造られた関ケ原七武将ウォーキングガイドマップが観光案内所前にも掲示してあります。それぞれの地図のPDFデータはすべて、こちらからダウンロードできます。

関ヶ原 戦跡巡りマップ②

関ヶ原七武将ウォーキングコース① オリジナルデータを貼ってありますので、右クリック、新しいタブで画像を開いて拡大して詳細をご覧下さい

 

関ヶ原 戦跡巡りマップ①

関ヶ原七武将ウォーキングコース② オリジナルデータを貼ってありますので、右クリック、新しいタブで画像を開いて拡大して詳細をご覧下さい

駅のトイレも戦国仕様(?)脇にちょこんと鉄道唱歌(♫汽笛一声新橋を~の歌です)の第36番・関ヶ原の歌詞を刻んだ石碑も置かれています。歌詞は写真を拡大しても読めると思いますが

天下の旗は徳川に
帰せしいくさの関ヶ原
草むす屍いまもなお
吹くか伊吹の山おろし

JR関ヶ原駅はトイレも戦国仕様

JR関ヶ原駅はトイレも戦国仕様(外装だけですが)

駅前の観光案内所のコインロッカーもお気に入りの武将を選べるようになっていました。

関ケ原観光案内所のコインロッカー。お気に入りの武将を選べます

関ケ原観光案内所のコインロッカー。ロッカーのサイズは動員兵力に比例しているようです

JR東海道線関ヶ原駅ホームから大垣・名古屋方面を望むと、線路が関ヶ原駅に向かって登って来ているのがわかります。写真の左側、林の切れ目に見える白い建物が大垣の街並みです。

濃尾平野の西端を登り詰めると関ヶ原

濃尾平野の西端を登り詰めると関ヶ原

下はGoogle Mapから拝借した鳥瞰写真です。右側は濃尾平野の西北端に位置する西濃地域。左側は琵琶湖と長浜・彦根市です。京都・大阪と名古屋・江戸を最短で往来するには、写真中央の関ヶ原がいかに交通の要衝だったかが、お分かり頂けるかと思います。

関ヶ原

関ヶ原は、上越の豪雪地帯と同様に、日本海を越えて来た雪雲が伊吹山系にぶつかって豪雪を降らせる場所でもあります。関ヶ原駅の近くでその証拠を発見しました。

関ヶ原駅前の道路には豪雪地帯の印が

関ヶ原駅前の道路には豪雪地帯の印が

関ヶ原の古戦場巡りはこれから11月頃までがお薦めですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

第30回岐阜県西濃関係者情報交換会が開催されました

平成30年8月28日(火)、今年で第30回目となる岐阜県西濃関係者情報交換会が例年通りルポール麹町で開催されました。岐阜県西濃関係者情報交換会は大垣市が、毎年一回在京の西濃出身者・関係者と懇親を図るものです。大垣市からは小川 敏大垣市長、石川 まさと大垣市議会議長、堤 俊彦 大垣商工会議所会頭をはじめとするご関係の方々のみならず、棚橋泰文 衆議院議員、古田 肇岐阜県知事代理の市川 篤丸 岐阜県西濃事務所長、大垣市のマスコットキャラ・おがっきい、おあむちゃん等、100名近いご出席の方々と西濃の味で盛り上がりました。

小川市長のご挨拶

小川敏市長 開会の辞。左からおあむちゃんとおがっきい。

今年は大垣市制100周年の記念すべき年でもあり、西濃出身のミュージシャンの皆さまによる大垣市制100周年記念おおがきの歌『これまでからこれからへ』も演奏され、例年以上に華やいだ会となりました。ちなみにこの曲の作詞は詩人の谷川俊太郎さん、そして作曲は息子さんの谷川賢作さんによるものです。

大垣市制100周年記念おおがきの歌「これまでからこれからへ」の生演奏

大垣市制100周年記念おおがきの歌「これまでからこれからへ」の生演奏

 

大垣市制100周年記念おおがきの歌「これまでからこれからへ」

会場に掲示された大垣市制100周年記念おおがきの歌「これまでからこれからへ」の歌詞と谷川俊太郎さん・賢作さん親子のメッセージ

 

小川敏市長以下のご挨拶に続き、大垣市出身の作家・中村 航さんが乾杯の御発声をされました。昨年公開された映画『トリガール』の原作者でもある中村さんからは、大垣を舞台にした小説の構想も語られました。

作家・中村航さんの音頭で乾杯

今年の乾杯の音頭は作家・中村航さん

当会から大垣市栄誉市民でもある立川名誉会長、杉野会長等が出席しました。   今年は会場に出展された大垣市のふるさと納税の返礼品の写真を中心にご紹介致します。(大垣市在住の方は大垣市の返礼品はもらえません。一応ご注意願います)  写真の説明文に返礼品を造られている会社やお店のHPへのリンクを貼ってありますので、ご興味を持って頂けたらリンク先をご覧頂ければと思います。PCでご覧頂いている方は、例によって写真を右クリックして「新しいタブで画像を開く」を選択、新たにできた写真のタブで高精細画像をご覧頂けます。

大垣市のふるさと納税サイト(市役所新庁舎建設のためにもぜひ!)

 

乾杯に使われた枡工房枡屋(大垣市西外側町)の枡。今年は100周年& COOL  OGAKIヴァージョンです。

枡屋さんの枡、市制100周年 Cool OGAKIヴァージョン

枡屋さんの枡、市制100周年 COOL OGAKIヴァージョン

大垣市東前の種田養蜂場の採れたまんまの国産蜂蜜。4~6月は西濃の田んぼに田植え前に植えられているレンゲや菜の花から採った蜂蜜です。もちろんレンゲ以外の花から取った蜂蜜もあります。

れんげ蜂蜜

種田養蜂場 れんげ蜂蜜

西濃の豊かな湧き水と日本有数の真夏の暑い日差は、みずみずしい梨も育みます。県内2位の梨の産地の大垣は、桜が散った後は白い梨の花が満開となります。

豊かな水で育った幸水梨

豊かな水で育った幸水梨

そして自噴井から採取した大垣の水と、ぞれを使ったお茶やラムネ。

大垣の水

大垣の水

 

大垣の水、大垣茶、大垣ラムネ

大垣の水、大垣茶、大垣ラムネ

豊富で清浄な湧き水は平地の大垣でもわさび栽培を可能にしました。大垣市曽根町の名水わさび、やさしい辛さで飛騨牛にピッタリでした。

大垣産 名水わさび

その飛騨牛は大垣市の(株)吉田ハムがブランド化したもの。大垣市のふるさと納税の返礼品でも目玉になっていますね。 →(株)吉田ハム ホームページの飛騨牛物語

飛騨牛ステーキ

飛騨牛ステーキ

大垣は清流の地でもありますので、天然の鮎にも恵まれています。こちらは大垣市十六町の鮎会席・十六兆さんの鮎のアヒージョです。

鮎アヒージョ

鮎のアヒージョ

ここからはお菓子編です。

夏の大垣の風物詩と言えば、和菓子店の店先の水槽に掛け流される湧き水に冷やされた水まんじゅう。今年は市制100周年にちなんで新顔もお目見えしています。まずは季節の果物を包んだフルーツ水まんじゅう(金蝶園総本家)

フルーツ水まんじゅう

フルーツ水まんじゅう

そしてありそうで無かった珈琲水まんじゅう(同じく金蝶園総本家)。コーヒーフレッシュをかけて頂くと一層美味しいそうです。

珈琲水まんじゅう

珈琲水まんじゅう

水の豊富な大垣でとれた白桃のお菓子、白桃菓(つちや)

白桃菓

白桃菓

水まんじゅう同様に夏季限定の水ようかん・竹懐石(金蝶園総本家)

竹懐石

東京銘菓・ナボナとほぼ同じ大きさだった大垣銘菓・おゝ垣も市制100周年を祝ってひとくちサイズの”ちっこいおゝ垣”(つちや)として登場しました。

ひと口サイズのおゝ垣

ひと口サイズのおゝ垣

大垣のお菓子の本命とも言われる田中屋さんの大垣せんべい もちろん登場していました。

みそ入り大垣せんべい

みそ入り大垣せんべい(とっても堅いのです)

会場には100周年を記念した大垣市のおもいで写真が数多く掲示されていました。この地で生まれ育った人間にとっては、思いで深い風景の数々です。大垣市では市制100周年を記念して、市保有の写真に市民の皆さんが投稿された写真を加えて『大垣市 思い出のアルバム』を公開しています。懐かしい風景や、もしかすると在りし日の皆さん自身が写っているかも知れませんね。

思い出アルバム・大垣市

思い出アルバム・大垣市

 

大垣市100年のあゆみ

今年もお忙しい中、会を催して頂いた市役所・ご関係の皆様、本当にご苦労様でした。

 

 

【追記】2018年8月30日 TV東京の番組『カンブリア宮殿』で安八町の浅野撚糸(株)が紹介されます

テレビ東京系で毎週木曜日22時~22時54分に放映されているビジネス番組『カンブリア宮殿』をご存知の方も多いかと思います。 本日(8月30日)の放送では”魔法のタオル”で大逆転! 倒産寸前から復活した感動物語”と題して安八郡安八町中875-1の浅野撚糸株式会社が取り上げられます。

5年を費やして開発した独自の製法でオーガニックコットンから作られたタオル・”エアーかおる”は従来のタオルより60%高い吸水性と洗濯しても変わらないふわふわの肌触りが特徴で、2013年の第五回ものづくり日本大賞では経済産業大臣賞を受賞、翌2014年には文部科学大臣表彰 科学技術賞や中日新聞社の 第28回中日産業技術賞 特別奨励賞を受賞しています。

本日の番組では”エアーかおる”誕生の秘密が明らかになると思います。

当会のHPでも以前ご紹介いたしましたが(→こちらの記事です)西濃地区は豊富な水と物流の便利さで長い間、日本の繊維産業の中心地のひとつでした。安八町のタオルが世界に認められて今治タオルのようなブランドになることを期待いたします。

エアーかおるの直販サイト →こちら  他にも楽天・ヨドバシ・ショップチャンネル等、各ネットショップでお求め頂けます。

関東ではまだ実物に触れられるお店は無いようです →こちら

岐阜県のNPOに紹介されたエアーかおる開発物語 →こちら

本日の放送を見逃してしまった場合、有料ですがテレビ東京オンデマンドで見ることも可能です。→こちら

2018年8月30日付 日本経済新聞の全面広告

2018年8月30日付 日本経済新聞の全面広告

【視聴後追記】

編集子が西濃で子供だった頃、同級生にも親戚にも繊維関連の仕事を営まれている人が当たり前のようにいました。その中には浅野撚糸さんの様に協力工場を沢山抱えた家も、母屋の隣の物置小屋に撚り機が1台だけ大切に置かれている家もありました。それらのお宅は、営まれている規模に関わらず1971年のニクソンショックの後、年々櫛の歯が抜けるように仕事を畳まれてゆきました。 女性が何人も働いていた同級生の工場も、ある日突然、誰もいなくなり、数年の後にはそこに工場があったとは誰にも知れない空き地になっていました。

番組の中で浅野社長も、高価な撚り機を借金して買われた協力工場を守るために、従業員に辞めて頂かざるを得なかった経緯を『犯した罪は大きい』と話しておられましたが、西濃地方の至る所に、浅野撚糸さんのように生き長らえることができなかった機屋さんや織り屋さん、撚り屋さんの思いが深く刻み込まれているように感じます。

『地獄の底から這い上がった』と語られた浅野社長は、番組の締め括りに中小企業へのメッセージとして、変化に対応できる者が生き残る『進化論』と会社経営を通して実現したい夢を従業員と共有する『夢論』を語られました。このメッセージは中小企業に限るものではなく、あらゆる企業活動に遍く通じる真理だと編集子は思います。

垂井町・大垣北高校出身の俳優・鈴木 歩己さんが出演された舞台がNHK・BSプレミアムで放映されます

1999年秋に東憲司氏を代表に結成された”劇団桟敷童子(さじきどうじ)”が今年5月から6月にかけて錦糸町の すみだパークスタジオ(倉) で上演した舞台『翼の卵』で、地元解体業者の組長役で出演されている俳優の鈴木 歩己(すずき あゆみ)さんは、垂井町出身の大垣北高36回生(1985年3月卒業)です。

その舞台が8月6日(月)午前0時~午前4時32分 NHK・BSプレミアムで放映されます(8月5日・日曜日の深夜、月曜に日付が変わった後です。『翼の卵』はこの前半に放映されます)

翼の卵フライヤー

昭和49年夏、斜陽産業となって久しい福岡県の筑豊炭田を舞台に、再婚相手の実家に10年ぶりに戻ってきた母子と、周囲の筑豊のひとびとの複雑な人間模様を描いた劇です。この舞台にはその昔、「Gメン75」や映画「蒲田行進曲」で活躍された原田大二郎さんも出演されています。

上演中は話題になった作品(→文春オンライン)ですので、垂井町や大垣北高関係以外の方もぜひご覧になって下さい。月曜の明け方の放映ですので、録画して頂ければ、と思います。

 

リンク:劇団桟敷童子

NHK・BSプレミアム・プレミアムステージ

鈴木步巳さんプロフィール

 

 

 

 

 

岐阜県立大垣工業高等学校同窓会東京支部 第34回総会が開催されました

さる5月26日(土)、四ツ谷駅前の主婦会館プラザエフにて第34回大垣工業高等学校東京支部同窓会が開催されました。

参加者は40名程。大垣からは大垣工業高校の堀秀樹教頭先生、一般財団法人 岐阜県立大垣工業高等学校 同窓会・樋口武尚代表理事も参加。今春卒業し、進学・就職のため上京したての卒業生2名も招いての会となりました。
出席した卒業生以外の東京支部のほぼ全員から寄せられたメッセージも紹介され、なごやかな会となりました。

大垣工業高校同窓会の様子2

校旗のもとに

大垣工業高校同窓会の様子1

大垣工業高校同窓会の様子

 

岐阜県立大垣工業高校同窓会東京支部第34回総会

岐阜県立大垣工業高校同窓会東京支部第34回総会式次第

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参考リンク:

一般財団法人 岐阜県立大垣工業高等学校 同窓会HP

岐阜県立大垣工業高等学校HP

アメリカ人ユーチューバーの見た大垣

たらい舟

今春、大垣を訪れたアメリカ人ユーチューバー・WΔY ΔWΔYさんの動画(Youtube,Our FAVORITE day in Japan!(Ogaki,Gifu),)が反響を呼んでいます。→https://youtu.be/LNrNreRb67A

12分ほどの動画の中、名古屋から東海道線に乗って大垣駅に着いた二人は、大垣のホストファミリーと一緒に、哲麺16代目大垣上面店(リンク)の博多ラーメンで腹ごしらえした後、伏見稲荷・豊川稲荷と共に日本三大稲荷と言われる千代保(おちょぼ)稲荷(リンク)の参拝に向かいます。お供えのおあげ(本物の油揚げです!)とろうそくを買ってお参り。その後、重軽石に挑戦した二人は参道のみそカツとラムネでのどを潤してます。

大垣に戻って大垣城や郷土館、美登里橋といった定番コースを巡って、水門川のたらい舟(リンク・今シーズンの運航は5月6日で終了しました)に乗って春の大垣を満喫した後は、ホストファミリーのお家でトンカツ作りに挑戦。

既に再生回数は1万回を超えていて、”Kawaii!”、”Lovely”といったコメントが多数寄せられています。『たらい舟がテーマパークのスピニングボートみたいでスリリング』とか”wanting to go for a looooong time”(ずうーーーっと前から行きたかった)といったコメントも。

海外の方が大垣のどんなところに魅力を感じているか、何となくわかりそうですね。

 

西濃の水

※PCでご覧の方は、写真にマウスのカーソルを当て、右クリックして『新しいタブで画像を開く』を選択すると大きなサイズで写真が見られます。

 

本ホームページでも西濃の水について時々触れていますが、ちょっとまとめてご紹介したいと思います。

西濃地方とは、ウィキペディアから借用した地形図にある通り、名古屋市を中心とし濃尾平野wikipediaて愛知・岐阜両県にまたがる濃尾平野の西北端に位置し、養老山地と伊吹山地に接しています。伊吹山地は冬期、日本海側の福井県敦賀市周辺からの雪雲が直接ぶつかるため日本有数(どころか世界最深積雪を記録しています)の豪雪地帯です。この雪が溶けて地下水となって西濃地方に豊富過ぎる水をもたらしてくれています。

豊富で良質な地下水は弱アルカリ性の軟水ですので、当然ながら肌には優しいものです。そこで江戸時代には『大垣の女性は肌が綺麗』と喧伝されていました。 もっともご先祖が大垣藩士だった岐阜出身の映画監督・篠田正浩氏に伺ったところでは、江戸時代、東海道と並んで東西の主要交通路だった中山道の赤坂宿(今の大垣市赤坂町)で、旅行者に『大垣の美肌美人』を宣伝するためだったとか。

時代は明治に移ると殖産興業のかけ声の下、濃尾平野には毛織物業が集積します。 毛織物業の工程はざっと以下の3つの行程に分かれます。

①紡績:羊の毛を糸に加工する

②織布:その糸を織って織物加工する

③縫製:織物から衣類を作る

 

濃尾平野の毛織物業は、

①豪州から輸入された原毛を水の豊富な西濃で紡績して糸にします。

②西濃で作られた糸を尾張一宮等の愛知県西部で毛織物にします。日本を代表する毛織物メーカーであるダイドーリミッテッド(旧大同毛織)は愛知県稲沢市で、御幸毛織は名古屋市で創業していますし、ニッケ(旧日本毛織)も一宮市や岐阜市に工場があります。

③そして織物から作った衣服を大量に流通させたのが岐阜市の繊維問屋街。

このように濃尾平野を一周すると羊の毛がスーツに仕上がるようになっていました。

そこで西濃の水と毛織物業との関係に戻ります。                毛織物業の原料は主に豪州から輸入した羊の原毛です。1971年のニクソンショック以前、西濃の小学校の社会科見学では地元の紡績工場を訪問させて頂くこと一般的でした。私もその一人ですが、工場の原料倉庫に山積みになった刈り取ったばかりの羊毛には羊の汗や皮脂や泥・草等が付着したまま。なんとも言えない異臭が今も鮮明です。アイルランドのアランセーターやカナダのカウチンセーターと言った未脱脂毛を使ったセーターといえども最低限の洗浄はしていますから、その臭さは比較になりません。

この原毛を石けんと大量の水で洗った上で糸に紡ぐのが紡績業。

豊富すぎる水があった西濃の地に紡績産業が着目したのは必然でした。おまけに大量高速輸送の手段が鉄道だったこの時代、東海道線の存在も見逃せませんでした。

ここまで、『ウールができるまで』 日本毛織物等工業組合連合会HPを参考にさせて頂きました。

1971年のニクソンショックまで西濃には主立っただけでも以下のような紡績・繊維工場が集積していました。合繊業も含めて繊維産業の一大集積地だった訳です。

・近江絹糸(現:オーミケンシ株式会社)

・鐘淵紡績(現:カネボウは事業分割され、大垣工場の事業は三甲テキスタイル株式会社が継承。)

・三興紡績(破産)

・都築紡績(現:KBツヅキ)

・帝国繊維(現在も同じ)

・東亜紡績(現:トーア紡コーポレーション)

・東邦レーヨン(現:東邦テナックス)

・豊島紡績(現在も同じ)

・ユニチカ(現在も同じ)

・和興紡績(現:ワコー化成)

 

埼玉大学教育学部の谷謙二准教授が公開されている今昔マップで西濃地方の過去の地図と現在の地図が対比できます。この地図の中京圏の1968-1973年と現在を比較してみると往時の繊維産業の隆盛降りがよくわかります。→今昔マップ

この繊維産業を支えたのが豊富すぎる地下水、だったはずですが、流石に昭和40年代半ばの高度成長期末期には水資源の枯渇が目立っていました。この頃になると涸れる井戸や自噴井が増えだし、地盤沈下現象も報告されていました。『昔は節を抜いた孟宗竹を田んぼに挿せばどこでも水が出てきたのに』といった昔話を良く聞くようになった時期でもあります。                           それが1971年のニクソンショックと日米繊維交渉の結果、日本の繊維製品は、これまで席巻していた北米市場を失い、規模縮小を余儀なくされました。

その結果、利用量の減った豊富すぎる地下水は徐々にかつての姿に戻りました。ついでに言えば、紡績工場だった土地が巨大ショッピングセンターに姿を変えるケースが多く、結果的に狭い商圏に十分すぎるショッピングセンターが並立し、厳しい競争となっています。

曽根の池

曽根の池。これも湧き水でできた池

 

さて、長すぎた前置きのあとで大垣市北部の曽根城公園での地下水の様子をご紹介します。

曽根城公園→大垣市の紹介ページ

戦国時代の稲葉氏の居城だったために曽根城と称していますが、華渓寺という臨済宗のお寺の敷地です。お城だった名残でお寺の周囲は堀で囲まれています。湧き水でできた堀なので極めて透明度の高い水で満たされています。

華渓寺旧堀(湧水池)2

華渓寺旧堀(湧水池)ハリヨが住む池

 

華渓寺旧堀(湧水池)

華渓寺旧堀(湧水池)

この水の中に天然記念物のトゲウオの一種、ハリヨが生息しています。湧き水の中でしか生息できないハリヨ(西濃ではハリンコと呼んでいます)の大切さを教えるのも西濃の小中学校の授業の一環でした。→ハリヨについて(大垣市)

華渓寺湧水池に生息するハリヨ

華渓寺湧水池に生息するハリヨ

門前には華渓寺が設けた自噴井公園があり、誰でも湧き水を楽しめるようになっています。

曽根華渓寺乃福水2

曽根華渓寺乃福水(アップ)

曽根華渓寺乃福水

曽根華渓寺乃福水。ポンプも使わず地下水があふれ出ている

自噴井の水は当然ながら軟水ですので、お茶などに使うと甘く美味しく頂けます。

この曽根城址公園は春には花菖蒲の名所ともなります。また、幕末の志士・梁川星巌ゆかりの地でもありますので、西濃方面においでの際にはぜひお立ち寄りください。

わくわく湧き水マップ(大垣市)

 

付録:今の西濃の産業の中心は半導体産業

今の西濃は半導体産業。イビデン大垣中央事業場(ICパッケージ基板を製造)

今の西濃は半導体産業。イビデン大垣中央事業場(ICパッケージ基板を製造)

関ヶ原合戦跡に行ってきました(一部加筆修正しました)

※PCでご覧の方は、写真にマウスのカーソルを当て、右クリックして『新しいタブで画像を開く』を選択すると大きなサイズで写真が見られます。

映画「関ヶ原」の公開も今週末に迫り、テレビでも予告CMがTBS中心に数多く打たれていますが、お盆で帰省した折に久しぶりに関ヶ原に行きました(名所・旧跡はどこも同じですが、意外に地元の人間は行かないものです)。

≪地図の写真はブラウザを拡大してご覧ください≫

JR東海道線で名古屋から50分弱(東京から東海道線で大船くらいですね)。天下分け目の関ヶ原駅前交差点です。

JR東海道線・関ヶ原駅前交差点

JR東海道線・関ヶ原駅前交差点

毎年冬、名神高速・東海道新幹線が大雪で乱れるたびに名前が全国放送されるので、関ヶ原をお耳にされた方も多いと思います。町内を東西に走る国道21号は岐阜県東部の瑞浪市から滋賀県の米原市までを旧中山道に沿って結ぶ、岐阜県美濃地方の大動脈ですが、豪雪地帯の関ヶ原町内では道路脇には雪捨て場が大きく取られています。

関ヶ原町の中心を走る国道21号線の路肩には豪雪地らしく雪捨て場が設けてある

関ヶ原町の中心を走る国道21号線の路肩には豪雪地らしく雪捨て場が設けてある

久々に見た古戦場の感想は昔と変わらず、「山あいで狭いなあ、本当にここに10万人(とも20万人とも)の兵隊が布陣したのかなあ?」。

決戦地~徳川家康最後の陣地跡からの景色。左手の西軍・石田三成陣地とは数百メートルしか離れていない

決戦地~徳川家康最後の陣地跡からの景色。左手の西軍・石田三成陣地とは数百メートルしか離れていない

東京ドームは収容人数4万7千人ですから、ドームの巨人戦の二倍の人数なのか、と思えてしまいます。しかし巨人戦は延長しても最長5時間、コンサートでアンコール満載でも3時間くらいです。しかし合戦は陣地を決めて陣地を築いて合戦準備を整えても戦いは時の運。何時間でも何日でも待つ場合もあります。

当時の日本人は基本的にコメや雑穀で栄養を摂っていました。合戦の場合ですと、米にして一日五合が兵糧の標準だったようです。5合のお米は約750グラム。これが10万人分となると一日75トン。トラックや鉄道も無い時代、輸送の主力は駄馬でしたが、馬一頭が運べる重量は100Kg程度。ですから10万人の兵に三食食べさせるためには一日あたり700~800頭の馬が必要だったのです。(その馬に食べさせる馬糧も必要ですね)。人が担いで運ぶ手もありますが、人が背負えるのはせいぜい30~40kg、米の運搬係(軍事用語では輜重隊(しちょうたい)と言います)だけで毎日2,000~3,000人が必要になります。

兵糧は現地調達と思いがちですが、関ケ原町は今も人口7,500人。しかも戦国時代、このような合戦の時には戦場にならない山中に住民は食料共々避難してしまいますから、選択肢にならない場合が多かったようです。

映画「関ヶ原」のキャプションに『わずか6時間で決した』とありますが、補給(兵站・ロジスティクス)を考えると短期決戦とならざるを得なかったと思います。

関ヶ原戦跡地図。狭い山間に今もJR東海道線・新幹線・国道21号・新幹線が密集している東西交通の要衝

関ヶ原合戦地図。東(向かって右)から攻める東軍を山上から迎え撃つ布陣だった

関ヶ原合戦地図。東(向かって右)から攻める東軍を山上から迎え撃つ布陣だった

 

上の地図のように、その狭い土地でなぜ天下分け目の戦いが行われたのか?

布陣図

布陣図

古来から現代まで兵法の常識では、自らより多勢の敵を迎え撃つ場合、隘路(あいろ・両脇を山に狭められた土地や道)に誘い込んで攻める戦術が常道とされてきました。大軍といえども狭い道では少人数の長い列を作らざるを得ない、今で言うと三車線だった高速道路が出口を過ぎて一車線になると大渋滞するようなものです。そうして身動きとれないでいるところを横から襲う戦術です。

石田三成もその常道に則って、東から一本道の中山道を進んでくる東軍を傘型に迎え撃つ計画だった事が上の布陣図からは読み取れます。 小早川秀秋達の寝返りが無ければ、勝敗の帰趨はわからなかったと思います。

関ヶ原古戦跡探索の起点・関ケ原町歴史民俗資料館はJR東海道線関ヶ原駅から徒歩数分

関ヶ原古戦跡探索の起点・関ケ原町歴史民俗資料館はJR東海道線関ヶ原駅から徒歩数分

駅の近くには首実検した首を葬った首塚があり、そこから数分歩くと関ケ原町歴史民俗資料館があります。ここで情報収集してからレンタサイクルを借りて(→)古戦場跡を巡るのが一番効率的と思います。

関ケ原町歴史民俗資料館館内。映画・関ヶ原のポスターも。(館内撮影禁止のためロビー風景です)

関ケ原町歴史民俗資料館館内。映画・関ヶ原のポスターも。(館内撮影禁止のためロビー風景です)

資料館では岐阜県が推進している世界三大古戦場展を開催していました。

世界三大古戦場とは、ナポレオン一世が最終的に敗退するワーテルローの戦い、南北戦争の帰趨を決めたゲティスバーグの戦い、そしてSEKIGAHARAです。

岐阜県が推進する「世界三大古戦場」展

「世界三大古戦場」展

資料館の向かいは徳川家康の最後の首実検場が綺麗な公園になっています。最初に整備したこの地の領主・竹中家とは、軍師・竹中半兵衛の子孫です。

東軍・徳川家康の首実検場跡

床几場(東軍・徳川家康の首実検場)跡

関ケ原町歴史民俗資料館前の東軍首実検場また、資料館の付近の施設や通りのあちこちにこんな案内が。

関ケ原町の各地にはこのような合戦跡地の案内がちなみに資料館のあたりの大字(おおあざ)は今も陣場野です。

関ケ原町歴史民俗資料館の位置する場所は今も陣場野と言う

役場から1kmほど北側には石田三成(映画では岡田准一さん)や島左近(映画では平岳大さん)が陣を構えた笹尾山が。

西軍・石田三成、島左近の陣が置かれた笹尾山の麓から

笹尾山の麓

島左近が陣を構えた笹尾山の麓には関ヶ原ファンの皆様が作られた馬防柵が設けられ、雰囲気を出していました。合戦の折には視界の妨げになる生い茂った樹木は伐採されていたはずなので、そこはご想像願います。

笹尾山には合戦当時を忍ばせる柵が作られていた

笹尾山の馬防柵

ちなみに山頂から石田三成が眺めた景色は;

西軍主力陣地・笹尾山頂から見た関ヶ原。低い山に囲まれ、限られた平地

西軍主力陣地・笹尾山頂から見た関ヶ原。低い山に囲まれ、限られた平地

 

西軍主力陣地・笹尾山頂から見た関ヶ原。低い山に囲まれ、限られた平地

笹尾山頂から見た関ヶ原(アップ)

景色の写真だけでは何もわからないので、笹尾山頂に掲示してある地図をあわせてご参照下さい。

笹尾山頂から見た合戦史跡位置図

笹尾山頂から見た合戦史跡位置図

 

笹尾山の西軍・石田三成陣地跡

笹尾山頂の西軍・石田三成陣地跡

そして笹尾山の麓から200mほど下った場所に、決戦地と言われる徳川家康の合戦最後の陣地跡が。

決戦地~徳川家康最後の陣地跡。西軍・石田三成の本陣は左奥の山上

籠もれる大きな城郭も無く、山に囲まれた狭隘な交通の要衝で行われた合戦。米だけで一日75トンにものぼる補給を考慮すると、合従連衡の術策を尽くしての短期決戦は必然だったと思います。

映画がそこをどう描くか、楽しみです。

岐阜県と関ケ原町は平成27年3月に策定した「関ケ原古戦場グランドデザイン」に基づき関ケ原古戦場の整備事業を進めており、映画「関ヶ原」とのタイアップもその一環です。→岐阜県と関ケ原町の事業サイト。イベント情報も満載です。

 

ちなみに関ケ原町は岐阜県の西端。滋賀県と境を接しています。名古屋文化圏の西濃地方がこの県境を越えると京都文化圏の近江に変わります。そんな県境の町、関ヶ原を象徴するように、関ヶ原ウォーランド(合戦テーマパークです)の向かいのレストランでも岐阜県が誇る飛騨牛と滋賀県が誇る近江牛が平和共存していました。

岐阜県最西端の町らしく、レストランの和牛も岐阜県の飛騨牛と滋賀県の近江牛が並んでいる