西濃の水
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本ホームページでも西濃の水について時々触れていますが、ちょっとまとめてご紹介したいと思います。

西濃地方とは、ウィキペディアから借用した地形図にある通り、名古屋市を中心として愛知・岐阜両県にまたがる濃尾平野の西北端に位置し、養老山地と伊吹山地に接しています。伊吹山地は冬期、日本海側の福井県敦賀市周辺からの雪雲が直接ぶつかるため日本有数(どころか世界最深積雪を記録しています)の豪雪地帯です。この雪が溶けて地下水となって西濃地方に豊富過ぎる水をもたらしてくれています。
豊富で良質な地下水は弱アルカリ性の軟水ですので、当然ながら肌には優しいものです。そこで江戸時代には『大垣の女性は肌が綺麗』と喧伝されていました。 もっともご先祖が大垣藩士だった岐阜出身の映画監督・篠田正浩氏に伺ったところでは、江戸時代、東海道と並んで東西の主要交通路だった中山道の赤坂宿(今の大垣市赤坂町)で、旅行者に『大垣の美肌美人』を宣伝するためだったとか。
時代は明治に移ると殖産興業のかけ声の下、濃尾平野には毛織物業が集積します。 毛織物業の工程はざっと以下の3つの行程に分かれます。
①紡績:羊の毛を糸に加工する
②織布:その糸を織って織物加工する
③縫製:織物から衣類を作る
濃尾平野の毛織物業は、
①豪州から輸入された原毛を水の豊富な西濃で紡績して糸にします。
②西濃で作られた糸を尾張一宮等の愛知県西部で毛織物にします。日本を代表する毛織物メーカーであるダイドーリミッテッド(旧大同毛織)は愛知県稲沢市で、御幸毛織は名古屋市で創業していますし、ニッケ(旧日本毛織)も一宮市や岐阜市に工場があります。
③そして織物から作った衣服を大量に流通させたのが岐阜市の繊維問屋街。
このように濃尾平野を一周すると羊の毛がスーツに仕上がるようになっていました。
そこで西濃の水と毛織物業との関係に戻ります。 毛織物業の原料は主に豪州から輸入した羊の原毛です。1971年のニクソンショック以前、西濃の小学校の社会科見学では地元の紡績工場を訪問させて頂くこと一般的でした。私もその一人ですが、工場の原料倉庫に山積みになった刈り取ったばかりの羊毛には羊の汗や皮脂や泥・草等が付着したまま。なんとも言えない異臭が今も鮮明です。アイルランドのアランセーターやカナダのカウチンセーターと言った未脱脂毛を使ったセーターといえども最低限の洗浄はしていますから、その臭さは比較になりません。
この原毛を石けんと大量の水で洗った上で糸に紡ぐのが紡績業。
豊富すぎる水があった西濃の地に紡績産業が着目したのは必然でした。おまけに大量高速輸送の手段が鉄道だったこの時代、東海道線の存在も見逃せませんでした。
ここまで、『ウールができるまで』 日本毛織物等工業組合連合会HPを参考にさせて頂きました。
1971年のニクソンショックまで西濃には主立っただけでも以下のような紡績・繊維工場が集積していました。合繊業も含めて繊維産業の一大集積地だった訳です。
・近江絹糸(現:オーミケンシ株式会社)
・鐘淵紡績(現:カネボウは事業分割され、大垣工場の事業は三甲テキスタイル株式会社が継承。)
・三興紡績(破産)
・都築紡績(現:KBツヅキ)
・帝国繊維(現在も同じ)
・東亜紡績(現:トーア紡コーポレーション)
・東邦レーヨン(現:東邦テナックス)
・豊島紡績(現在も同じ)
・ユニチカ(現在も同じ)
・和興紡績(現:ワコー化成)
埼玉大学教育学部の谷謙二准教授が公開されている今昔マップで西濃地方の過去の地図と現在の地図が対比できます。この地図の中京圏の1968-1973年と現在を比較してみると往時の繊維産業の隆盛降りがよくわかります。→今昔マップ
この繊維産業を支えたのが豊富すぎる地下水、だったはずですが、流石に昭和40年代半ばの高度成長期末期には水資源の枯渇が目立っていました。この頃になると涸れる井戸や自噴井が増えだし、地盤沈下現象も報告されていました。『昔は節を抜いた孟宗竹を田んぼに挿せばどこでも水が出てきたのに』といった昔話を良く聞くようになった時期でもあります。 それが1971年のニクソンショックと日米繊維交渉の結果、日本の繊維製品は、これまで席巻していた北米市場を失い、規模縮小を余儀なくされました。
その結果、利用量の減った豊富すぎる地下水は徐々にかつての姿に戻りました。ついでに言えば、紡績工場だった土地が巨大ショッピングセンターに姿を変えるケースが多く、結果的に狭い商圏に十分すぎるショッピングセンターが並立し、厳しい競争となっています。

さて、長すぎた前置きのあとで大垣市北部の曽根城公園での地下水の様子をご紹介します。
曽根城公園→大垣市の紹介ページ
戦国時代の稲葉氏の居城だったために曽根城と称していますが、華渓寺という臨済宗のお寺の敷地です。お城だった名残でお寺の周囲は堀で囲まれています。湧き水でできた堀なので極めて透明度の高い水で満たされています。


この水の中に天然記念物のトゲウオの一種、ハリヨが生息しています。湧き水の中でしか生息できないハリヨ(西濃ではハリンコと呼んでいます)の大切さを教えるのも西濃の小中学校の授業の一環でした。→ハリヨについて(大垣市)

門前には華渓寺が設けた自噴井公園があり、誰でも湧き水を楽しめるようになっています。


自噴井の水は当然ながら軟水ですので、お茶などに使うと甘く美味しく頂けます。
この曽根城址公園は春には花菖蒲の名所ともなります。また、幕末の志士・梁川星巌ゆかりの地でもありますので、西濃方面においでの際にはぜひお立ち寄りください。
付録:今の西濃の産業の中心は半導体産業
