西濃地区の産業基盤
岐阜県の西濃地区は、いうまでもなく岐阜県における産業の主要地域の一つです。
岐阜県に本拠を有する上場企業29社のうち、西濃地区に本拠を有する上場企業は西濃ホールディングス、イビデン、大垣共立銀行をはじめ10社あり、岐阜・羽島地区の12社に全く見劣りしません。
進取教育の精神
岐阜県は元来教育先進県であり、例えば、明治10年における岐阜県の学齢児童就学率は、全国平均39.9%に対して55%超と、大阪府、東京府、長野県、石川県に次ぐ高さでした。
西濃地区においては、明治初期の開化政策の中で、明治18年に戸田鋭之助及び金森金四郎らの尽力によって大垣郭町に大垣英語学校が開校しました。
これは、民間英語教育の先駆け的存在であり、往時には100人超の生徒を擁し、卒業生は上京して直ちに各種学校に合格するレベルであったといいます。
大垣出身の羽根田幸之助が大正3年に文京区本郷に完成させた「菊富士ホテル」は谷崎潤一郎、竹久夢二、尾崎士郎、宇野千代、大杉栄、菊池寛、芥川龍之介、斎藤茂吉ら当代一流の芸術家が出入りする有名ホテルとなり、羽根田の成功を知った郷土の人々が続々上京し、本郷一帯に本郷旅館街を形成したことはよく知られています(現在約40軒近い旅館の約半数が岐阜県ゆかりの経営者だそうです)。
実業界のほか、東京帝国大学教授、同附属病院院長、同医科大学長、日本外科学会初代会長、貴族院議員を務めた佐藤三吉(大垣市出身)や帝国大学農科大学長、東京帝国大学総長を務めた松井直吉(大垣市出身)がおり、明治期から優秀な西濃出身者が中央で活躍しました。
首都圏における同窓会網
このように、重要な産業基盤を有し、進取教育の精神に富んだ西濃地区から、毎年多くの学生が上京しています。岐阜県の平成19年における高校卒業後の大学・短大進学率は53.5%(13位)であり、毎年1000名余が首都圏の大学等に進学しています。
他方、首都圏では、出身高校を中心に同窓会が組織されていますが、在京岐阜サミット(東京における岐阜県出身の高校同窓会や地域の親睦会の代表者の集まり)の会員名簿によれば、岐阜地区(岐阜高校、岐阜北高校、長良高校、加納高校、岐阜商業高校、岐阜工業高校、本巣松陽高校)、東中濃地区(多治見北高校、瑞浪高校、中津高校、斐太高校、関高校、武義高校)、飛彈地区(東京飛彈会、岩村高校)と比べて、西濃地区(大垣北高校、大垣商業高校、大垣工業高校)の同窓会数はかなり少ないといわざるを得ません。
大垣東高校と大垣西高校は、まだ歴史が浅いため同窓組織が未発達なのかもしれません。(なお、大垣市は、昭和63年から首都圏在住の西濃地区出身者を中心に「岐阜県西濃関係者情報交換会」を毎年東京で開催していますが、会員組織化されたものではないため、参加者の継続的な交流も限定的と思われます。)
横断的同郷組織の必要性
インターネットや物流の発達により、首都圏と西濃地区の距離は短くなっており、また、ソーシャルネットワークの発達によりコミュニケーション手段も充実してきていることは周知の通りです。
しかしながら、同じ地域的バックグラウンドを有し、同じ故郷の発展に思いを同じくする人々が、互いの知己と知識経験を共有することは、自己の世界観を深めるのみならず、故郷へのパイプを拡げ、ひいては故郷の発展につながると考えます。
上記首都圏における西濃地区同窓会の状況に鑑みると、西濃地区の、学校単位を越えた、横断的な組織が有用と考えます。
東京岐阜県西濃会の設立
以上の次第であり、西濃出身者の首都圏における親睦交流を深め、もって地元西濃地区の更なる発展へとつなげるべく、西濃地区出身者のための首都圏同郷組織として、東京岐阜県西濃会の設立を発起しました。
ご賛同頂けますと幸いです。